「賠償責任」だけで良いのか?

血液製剤フィブリノゲンを投与され、C型肝炎ウィルスに感染したケースに関して、国と製薬会社に対して賠償責任を認めた判決が出た。
http://www.asahi.com/national/update/0621/OSK200606210035.html
勇気をもって国と戦っている患者のみなさんと、それを支えられた方々の、その努力と素晴らしい結果に敬意を表したい。

ただ、薬害裁判で勝利を勝ち得た人、またこれから勝つ人たちは、その都度繰り返される「責任の認定と賠償」の積み重ねだけを望んでいるのだろうか。そんな事はないはずだ。
確かに、それはまず、国や製薬会社に対して、薬害を放置する体質からの脱却へのプレッシャーとなる事、これは大いに意味がある。
だけれども、「賠償責任」だけで解決しない事の方が重要なのではないか。もし、HCVとの縁を切る事のできない生活が続くのなら、3000万、6000万の金をもらって「ハイ、それまでよ」で納得できないはず。
C型肝炎の治療は、副作用など様々な負担を強いられるから、これはお金だけで解決できる事ではない。
また、残念ながら人それぞれ治療効果に差があるという今の現実を見れば、新しい治療法への積極的関与も必要である。

国や製薬会社、当事者である患者や医療関係者、そしてそれ以外の人々が忘れてはならない事があると思う。
薬害によりC型肝炎に感染させられたという、加害-被害構造とそれに対する賠償/補償、その枠組み以外のケースはどうなのか?
危険性が指摘される以前の血液製剤投与、*1輸血、その他の医療行為で感染したケースは「不可抗力」として扱われ、感染者をケアするための構造は、今のところ何もない様に思える*2。それでよいのだろうか。
というか、そもそも医療というのは、感染した経緯など関係なく、それぞれを健康状態に回復するためのケアを、人として生まれた者へ皆平等に与える行為ではないのか。

国に対して言いたいのは、HCV感染拡大の責任有無にかかわらず、国内に200万人いると言われるHCV感染者を今後どうしていくのか、という事。
フィブリノゲン薬害という狭い枠組みだけに焦点が当たり、世の中が微視的になるあまりに放置される事が多いのではないかと、私は非常に心配である。

だからこの裁判のニュースに、私は複雑な心境をもった、申し訳ない。

*1:国の判断では、製薬会社や国に責任があるとされた以外の時期は、適切なウィルス不活性化が行われたとして、フィブリノゲン由来の感染ではないということになっているようだ

*2:もちろん、この国にも医療保険制度というものがあり、たちの悪い疾患でも高額療養費制度でずいぶん治療費などが楽になる、だけどこれも最近かなり切り崩されてきている。