連鎖反応

なぜ、私がブログで闘病日記を書く事にしたか、何度か書いたような気がします。忘れないうちに、もう一度しっかり書いておこうと思います。

二年前ぐらいからはやりかけていたweblogをやってみたくて、ただあまり世の中のサーバをただ借りしてそういうのを始めるのが気が引けていた時期。
堀江社長が球団を買うの買わないので、livedoorが異常に盛り上がっていた時期、ブログを始めるのに何も障害がなかったが、何しろ書く題材がない。
そんな時期に、健康診断で久方ぶりに血液検査をした結果、肝炎の疑い。会社を休んで、検査に行くその日から、これをネタにしてブログを書く事にした。
抗体検査NG、定性検査NG。
でも、この辺りで闘病記に飽きた。更新するのをやめてしまった。

定量検査でウィルス多めの結果がでる、断酒を言い渡される、ウルソを処方される。そして、インターフェロン治療を勧められる。
それ、C型肝炎にはよく使う薬だという事は聞いていた。あぁ、肝炎って、薬やれば治るんだなぁ、なんて事を考えていた。
次の診察の頃にはウィルスの型が判明、まだその頃保険適用されていない、ペグインターフェロン+リバビリン併用療法の話を聞く。
急に不安になる。なんだ、その保険適用されてない薬は。混乱する。
ネットで調べる。ペグインターフェロンなんて言葉がほとんどでてこない。確かに、年末に承認が降りそうだ。
ペグがついていないインターフェロンリバビリンの併用療法について調べる。
どうやら、苦しいらしい。だるいし、イライラするし、鬱になるし。この辺で、ようやく事の重大性に気づく。

とにかく、インターフェロン治療をした人たちが、どんな気持ちになったのか、どうやって苦しみを乗り越えていったのか、知りたくなった。
googleで、C型肝炎だとか、インターフェロンだとか、HCVだとか、闘病記だとかを組み合わせて、たくさん検索をする。

その人は教師だという。
職場の同僚には、インターフェロンα+リバビリン併用療法の治療を打ち明け、週に三度、半年の投薬を始める。
それまでしていた、自転車通勤をやめ、自動車での移動に切り替えた。習慣だった水泳もやめた。
ちょっとした事で怒りっぽくなったり、息切れしたり。時に、就職室のソファーで休みを取りながら、同僚や生徒に励まされながら。
そして、投薬が終わる。ウィルスは陰性化していた。
投与後一ヶ月目、まだ気分は落ち込んでいる。ウィルス検査がとても不安。
二ヶ月目、三ヶ月目、陰性が続くもの、体調に著しい改善が感じられない。
四ヶ月目、五ヶ月目、確信するほどではないが、体が軽くなってきている。
六ヶ月目。陰性が続いた。完全著効。

治療後、初めて水泳した。水に潜る事に不安を感じるのではないかと心配していたが、体力の回復をはっきり認識できた。

読み終わったとき、感動して涙が止まらなかった。インターフェロンに耐えて、C型肝炎を克服するという事の意味が、初めてわかった。
ブログのない頃、ホームページを更新するには少し面倒な操作があった時期。この方は、検査データとともに詳細な闘病記をwebに残されていた。
この方の一年の記録が、私の心の中の不安を和らげ、これが挑戦すべき課題である事を教えてくれた。

誰かの闘病記が、私の心を動かしたように、私の闘病記が、誰かの心を動かすかもしれない。
このとき、やっと、インターフェロン治療の様子を、webに残す本当の意味を知った。
いま、身近にもっと簡単にwebを更新できる、ブログというツールがある。

Webサービスlivedoorからはてなに変え、今度こそ本気に取り組む事にした。
できるだけ正確に、できるだけ克明に、そしてそのとき感じた事を書く事にした。
職場の変更、治療前の不安、孤独、治療に入るまでにすませておかないといけない何かを探す焦り。
これらを書きながら、自分がしている事としようとしている事を再確認する日々が続く。

はじめは、だれも私のブログを見ていないような気がした。
だけど、そのうち誰かが、私のブログを見ていてくれることがわかり、コメントをもらうようになり、そして、同じようにブログを始める人がでてきた。

信じられないけど、この連鎖反応は、継続している。