こゝろ

エゴ、個が個のしたいことをするとき、その正当性を何の根拠に置くか。
それについて、我々はそれなりに理由付けを持っていると信じていて、それの不確かなことを気付くことを避けているのかも知れない。
高校の時の教師に、この点について、明治天皇崩御、乃木大将殉死と関係付けられるのは、なぜか、と問われた記憶がある。時代の価値観、みたいな答えだったろうか。もしそんな時代に生まれたとして、頭に現在の思考を埋め込まれたとしたら、何回命を経つ局面にたたされれだろうか、冷や汗が出る。昔の人のなんとナイーブなこと、信じられなかったことを思い出す。
なぜ、「先生」やKが、そのようなことで絶望するのか、かなり理解に苦しむなかで、はて、最近の自殺者の少なからず事、それらの訳、個々の訳などさっぱり見当に及ばざる事には、まだ私のこゝろの安楽さに、変に安心できたりする。
ま、なぜ、まだここに自分の命をさらす理由がわかってないまま、人生の折り返しを迎えたりしてるのだが。