この世の中で一番強い言葉

それは、弱者の声、「傷ついた」。
一見、正当で、かわいそうで、弱弱しい訴えである。
しかし、これが、人権を基調とする社会で、一番効果的な言葉の武器である。

いったいこの国で、「傷ついた」「悲しい」「堪えられない」という「弱者」の訴えで、内容にかわらずどれだけの表現が殺されてきたか、言った本人たちは気づいていないことが多い。当たり前だ、「本当に傷ついた」んだから、正当な訴え、のつもりである。

もっと効果的な方法がある。
「(この人が態度を変えないために)この人はこれからもずっと傷つけ続けるだろう」
そう、継続される対象の行為のために、長時間精神的被害を受ける、というのだ。その行為が終わるまで、この弱者は優位でいられる。
これが、一方の言論を封じるために、いかに効果的か。
この言葉を言われてみろ、態度を一生変えなければ、その対象は一生人格を疑われる。

こうした、大衆心理をくすぐり、ものすごく暴力的な言葉で、言論や表現方法はつぶされてきたのである。
言った側のほうに、そのことを気づいているものは、ほとんどいない。