大人の言葉とそれ以外

私の二つの言葉、同じことを言っている。

さまざまな事、それは病気にかかわったり差別に関係したりすることであっても、それを表現する手段はさまざまあってよいはずです。Mさんがお望みだと思われる、患者の立場を考慮した正確でまとまった情報も得られるべきですが、この世界その表現方法だけで成り立っているわけではないと思います。こういう BBSもそう、私の日記のようなブログもそう、30代をターゲットとした雑誌もそう、たとえが悪いですが森進一さんのことを伝えるワイドショーもそう。
ある表現方法に偏ってそれを退ける「ナイーブ」さには、その緊張度に応じて「タブー」を作りやすいことは、皆さんも経験でご存知なのではないでしょうか。他でも書きましたが、「タブー」も偏見を生む原因の一つだと思います。
それぞれの言論や表現方法が用意され、清濁含めてさまざまな情報があることは、「真っ白」よりどれだけ恵まれているか。私は私の利用できる表現方法で闘います。Mさんもぜひ、メディアへの牽制だけではなく、このBBSでのいくつかの書き込みのように、独自の表現方法と言論で闘って頂きたいと思うのです。
そうすることによってだけ、C型肝炎患者は不幸かも知れないけど、やっぱり普通の人間で、清濁合わせたこの世界の中で普通に扱われると同時に、少しの思いやりと必要十分な尊厳を確保できるのではないかと、私は思っています。そうした世界になればよいと、願っています。

「われわれは、たまたまウィルスに感染して、そのわりにはすごく不幸だと。」
ある程度はそのとおりだろう。確かに理不尽だな。
「周囲の無理解により、必要以上の差別を受けることも少なくない。」
そういう話が結構あるという話は聞くよ、おいらにはあまり無いけど。
「だから、われわれの問題は、ナイーブなんだ。」
ん?
「だから、われわれのことを語るには、腫れ物に触るような慎重さが必要だ。」
な、なに?
「猥談ゴシップ儲け話が中心の男性向け週刊誌が、藤居みたいなバカが語っているような表現で、このナイーブな問題を扱うのは何事か?」
な゛?
「そんな雑誌を読んでるやつらなんか、そんなくだけた表現では、われわれに対する理解を示すはずが無い。」
・・・・・・
「偏見を助長する雑誌記事を書いた編集部と記者に、一言申してきた。聞き入れてくれなかった。これからもこの記者は他人を傷つけ続けるだろう。」
・・・・・・
・・・・・・
おいらたち、それほど特別待遇を受けないと生きていけない?
おいらたち、プロ市民に助けてもらわないといけない?
おいらたち、タブーになってしまうのだろうか?

これまでに、そして今もあるタブー
- 明るく楽しい、同和問題
- AIDSと性感染
- 私たちを忘れないで、ハンセン氏病患者

もう少し、差別が生まれる構造、これを深く考えてみないといけないようだ。
まだまだ勉強不足だな。

どちらが効果的だろうか。
http://d.hatena.ne.jp/fujii_yoshio/20050423