みなさん、ありがとう。そして、当分の間はお付き合いください。

「お花畑モード」の藤居芳生です。いつも大体いやみぐらいに元気な男が、今日は輪をかけてバカみたいになっていること、お詫びします。
だけど、言わせてください。ありがとう。

よくわからないですけど、48週終わらせたことに対して達成感というか喜びがあります。治っているかどうかじゃなくて、終わったことにうれしさがあります。
お仲間にも、できるだけ多くのお仲間にも、この気分を味わっていただきたいと願っています。
なんにでも、いつかは「区切り」がきます。どんな結果になっても、何らかの達成感が残るように、いい面を積極的に探す、そういう治療生活を送れたら良いですよね。私にとって、ブログで日記を書くこと、お仲間とちょっとお話をすること、アンテナを管理することは、そういうことの一環だったような気がします。

ちょっと参加していたりする、医療について扱うネット上のコミュニティーのもう一方、MELITについて考えることがありました。MELITは、お医者さんと一般の人が同じところに集って、思っていることを話すことによって、経験や知識を役立てていくような、そういうところです。
実は、ここの中でも人間社会特有な摩擦みたいなものがあって、その度に今やっていることの意味を見直す機会があったんです。これは、私の疑問でもあり、宿題なのですが、いったいMELITとはどんな機能を持つ装置なのだろうかな、そういうことを考えていました。結局は、他の人が意図をもって立ち上げたことについて、あれこれ書くことは難しいな、ということです。これは、あきらめてなく、まだ私の中の宿題です。
実は、これをきっかけに、「C型肝炎お仲間アンテナ」を見直してみました。お仲間アンテナの「装置としての機能」をもう一度考える機会があったんです。

私が小学生の頃、大体二十年ちょっと前、21世紀がこんな世界になることを、一般の市民のどのくらいが気づいていたでしょう。空に透明なチューブが縦横無尽に通っていて、その中を車輪の無い車が行きかっている、鉄腕アトム的な夢が、その頃のガキ一般の精一杯な未来予想図でした。
現実の21世紀はどうでしょうか。少なくないの市民が個人のコンピュータを所有し、それが距離を隔てた他のコンピュータとつながる、しかもクモの巣のように縦横無尽につながっている世界。他人の出す情報を得たいときに閲覧できるWWW。まるで日記を書くように個人がweblogで情報発信し、それに対して好きなときに残せるコメント。googleのように他動的なもの、はてなキーワードのように自動的なもの、トラックバックのように能動的なもの、さまざまな形でそれぞれを結びつけることができるようになっています。公開型RSSビューワを用いた「お仲間アンテナ」は、関連するweblogの要約を集めることによって、常に更新状況を参加者やその他大勢にもたらし、それぞれ即時的にコメントや反応を返すことができます。これは、非常に強力な結びつきを与えていて、時々驚くようなうねりを起こします。アンテナとそれぞれのweblogは、風が吹いたときの風見鶏のようで、多くのweblogいっせいに反応していることが見て取れることがあります。しかも、誰かがそうであることを強制することもなく、なんとなくそれを維持する動機をもたらしてくれます。
その実態はなんでしょう、IT(情報技術)というやつです、コンピュータ上で動作するプログラム、そういう機能を持った装置、そう、たかが機械です。

その「たかが機械」を得た「一般市民」は、この機能を使っていったい何をするのでしょうか、この組み合わせから何が生まれるのでしょうか。
私が今回「お仲間アンテナ」を一歩引いて見て、心底驚いたのは、結局のところ「共感」だったり「調和」だったり「思いやり」だったり「前向きな心」だったりが、お仲間ネットワークの中に自己発生的に根付いていることでした。これは、悲観論、性悪説がまかり通る世の中で信じがたく、非常に驚くべきことです。
おそらく人間は、その姿形から、個として自然に放り投げられたときに、非常に不利な生物だったのでしょう。だから、互いに情報をやり取りする業を見つけ、その中で助け合い、社会を作っていく行動をとるものが、結局うまく生き残っていき、その特性を遺伝子に刻み込んだに違いありません。それはよく「人間性」という簡単な言葉で表現されます。私のようなとりえの無いただの一般市民でもそれなりに生活できるのは、このおかげだと思わざるを得ません。
ときに全く破壊的な影響を与える機械の一つ「IT」と、「市民」との組み合わせによって生まれたのは、実はやはり「人間性豊かな社会」だったというわけです。「C型肝炎お仲間アンテナ」を形作る皆さんは、今この瞬間にも、それを証明しつづけています。それが飾ったもので、上辺だけのものだったとしても、それらの雲のような組み合わせは、「人間性の連続」という、すばらしい「夢」を見せてくれます。

21世紀は、捨てたもんじゃない。むしろ、この時期にC型肝炎と向き合えてよかった、この時期に生まれててよかった、と思えるんです。

こんなことを書くと、「なんだ、不味そうな手前味噌だな」なんていわれてしまうと思うのですが、そんなつもりは全く無いです。だって、「お仲間アンテナ」の良さの本質は、装置としてのITでもなく、それを管理する装置としての個人でもないからです。

これからも、C型肝炎に向き合っている人たちによって、このコミュニティーが続いていけば良いなと思います。また、同じようなコミュニティーが、他の疾患についても自然発生的にどんどん生まれていけば良いなとも思います。歳の差や性別、地域差なんかも関係ない、誰だって潜在的にもっている「この能力」さえあれば、この世の中は黙っていてもそんなコミュニティーだらけになっていくはずです。
あ、別に、お仲間アンテナの管理を引退したいとかじゃないですよ。でも、闘病している何割かの人は体調を元に戻し、「患者」として振舞えなくなります。そうして自然に人が入れ替わっていくわけです。とすると、闘病者のコミュニティーを形作る主要要素は、やはり「闘病者」であるべきだ、とも思うのです。もし闘病者の中で、この「装置」役になってみたいと思われる人があったのなら、お任せしたほうが良いんです、きっと。
「そんな人がきっと出てくる、それを祈っています。」と書くことで、今の気持ち一杯の感謝の言葉といたします。

みなさん、ありがとう。そして、当分の間、お付き合いください。

2005年12月10日 関東に向かう新幹線の中、新大阪駅へ到着した頃に、藤居芳生