でも平和じゃなかった

ずっと息苦しく、咳ばかりしていた。咳をするから痰がからむのか、痰がからむから咳をするのか、息苦しいから咳をするのか、咳をするから息苦しいのか。
息苦しい理由ははっきり意識できる。おそらく肝臓にはあまり関係ない、意識が作る問題。入院までにいろいろケリをつけないといけないというのは、それなりにある。治療を始めてからの生活に関する不安、まぁそれもあるだろう。ただ、それよりもまして胸を苦しくさせるのは、あれ。胸の奥にある襞にできた、血がにじむ潰瘍のように潜むあの思い、それを端的な文字にする勇気すらない。なぜにおいらの場合、これがこのように醜い姿を見せるのか、理解に苦しむ。
なぜ人間は理性を働かせるまで脳を発達させてしまったのだろうか。理性が欲求を必要以上に縛り付け、その部分が痣になり、やがて壊死させる。何でいつもおいらは壊死するまでそれを解くことができないのであろうか。
まったく陳腐な言い方をすれば、欲求ベースのルールに従って生きている、たとえば猫がうらやましい。本能が欲求に深く結びついてるから、その季節になれば彼らはできるだけのことをやるだけだ。その過程で体が傷つくこともあろうが、心が壊死することは無いだろう。
おそらく、もうすぐ酸素が行き届かなくなり、腐って落ちて消えて無くなる。それまで、いつものようにじっとしておけば良いんだ。
書きながら思った、こんな状態でインターフェロンを受け入れることができるんだろうか。何か逃避できる場所を用意しておかなければ。その場所探しの必要性でさえ、おいらの心を脅迫する。な、なんてこった。