原爆資料館(広島平和記念資料館)

25年ぶりぐらいだろうか、原爆資料館にいってみた。これは通称らしくて、広島平和記念資料館というのが正式らしい。

25年前と何が違うか、それは原爆が投下される前の広島のこと、原子爆弾の歴史的意味を展示するコーナ、導入部にできていた。
若干恨み節なところがあるとしても、基本的には冷静で、入り口としては合格点だろう。

例の、皮膚がただれて、幽霊のようになっている蝋人形、今でもあった。
ガキの頃は、あれを直視できなかったものだ。この資料館の中で、一番俗っぽい展示、かといって全く嘘がないところが悲しい。

その他は、昔から展示物は変わっていないように見える。
でも、同じものをみても、なぜこんなに冷静にみれるのだろう。こんなもの作ったり使ったりする人間の前頭葉の暴走に、素直に「いかんな」と思えるのだろう。

思えば、おいらたちが受けた教育というのは、一方の思想が濃い労働組合の息がかかった、バイアスのかかった教育だったから。とにかく、恨み節の詰め込みである。あの環境では、平和を愛する前に、敵と祖先を憎んでしまうのである、敵と祖先を糾弾してしまうのである。もちろん、教員たちの意図は違うだろう、でも実際にそんな子供が量産された時代である。

今なら、ヒバクシャの声も冷静に聞けるのだろう。気がつくのが遅すぎたのか、ヒバクシャもおいらも年を取ってしまった。

しかし、我々は幸いである。
徹底的に叩きのめされた被害者の体験を持つのと同時に、徹底的に叩きのめした加害者の体験を持つのである。
徹底的に叩きのめされた被害者の立場に立ってみてこそ、徹底的に叩きのめした加害者であった我々を想像できるのである。徹底的に叩きのめした加害者であった我々の立場に立ってみてこそ、徹底的に叩きのめされた被害者の我々を想像できるのである。
被害者としてしか歴史を教わらないクニがある、結果的にそれがどれほど不幸なことか、愛国の叫びとともに大使館へ石を投げている若者をみて思うのである。
勝ってこその正義だという歴史を教わるクニがある、結果的にそれがどれほど不幸なことか、大量破壊兵器が戦争を終わらせたと信じている老人をみて思うのである。

ぜひ、ヒロシマに来て、カガイシャのヒトであるジブンに向き合ってみてほしい。